したがって、魂が出産しないときは決してありません。魂は常に出産し、常に子どもたちを生みます。しかし、神のみ言葉から妊娠して生まれる(子どもたちの)世代は祝福されています。その子らの世代によって、「魂は救われます[1]」。しかし、私たちが申し上げたように、もしも魂が、敵対する霊から妊娠するなら、それが、「滅びに定められた怒りの子どもたち[2]」を出産するのは確実です。そしておそらく、魂のそれら二つの世代に対して、土に言われている事柄が関係しているのかもしれません:「実際、彼らがまだ生まれず、何かよいことも悪いことも行わなかったとき、選びに即して作られた神のご計画が、諸々の業によらず、お召しになる方によって存続するために、『年長者は年少者に使えるだろう』と言われました。それは、『私はヤコブを愛した。しかし私は、エサウを憎んだ』と書かれている通りです[3]」。魂のそれらの世代は――実に「何らかの善きことを行う前に」――もしも聖霊から生まれたのであれば、既に愛されています。しかし、悪霊から(生まれたの)であれば、実に「何らかの悪しきことを業によって実行する前に」――まさに、魂がそのような意思を生み出したことそれ自体によって――その魂における悪しき意思の最悪の懐妊は、相応に憎まれます。

それゆえおそらく、この神秘の象徴の内で、少年カナンは、生まれる前に呪われたのでしょう。すなわち、彼の父ハムは罪を犯しました。そしてノアは、自分の息子たちのひとり一人に諸々の最善の事柄を一つひとつ預言して示した際に、ハムに(話が)及んだとき、「少年カナンは呪われる[4]」と言いました。ハムは罪を犯しました。そして、彼の子孫カナンは呪われて、(本当に)呪われました。ですから私たちは、魂が呪いに価する何らかの事柄をもしかして生むことのないように、細心の注意を払って用心しなければなりません。たとえ魂が業によって実行しなくても、みずからの意思と意図それ自体の内で、そのような呪われた子孫がいるでしょう。そして、もしもそのことがあるとき生じたなら――実際そのような誕生から、すなわち罪を犯す意思から免れた人が容易に見出されるでしょうか――、もしも何かそのような事柄が起こったなら、どのような救済策が与えられるかを、私たちは神的な諸々の巻物から探求することにしましょう。



[1] Cf.1Tm.2,15.

[2] Cf.Rm.9,22.

[3] Rm.9,11-13

[4] Cf.Gn.9,25.

 

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