しかし、「少数のものたち」と「多くのものたち」との間にある違いは、何でしょうか。私たちはその諸々の手がかりを集めてみましょう。あなたは、人類の一切の数字を置いて[1]、ありとあらゆる諸国民から信者たちを選んでください。疑いもなく彼らは、すべての人たちよりも少数でしょう。次にあなたは、信者たちの中から、より善い人たちを選び出してください。はるかに低い数字が残るのは確実です。さらに、あなたが選び出した(信者の)人たちの中から、より完全な人たちを選び出してください。そしてあなたが、この選び出しにおいてもっと先に進めば進むほど、より僅かで極めて少数の(信者の)人たちを見出すでしょう。最終的にあなたは、或る一人の人に行き着くでしょう。彼は自信を持って「私は、あれらの人たちの誰よりも多く働きました[2]」と言っています。

ですから、このようにより多くの人たちは、より多くの土地、しかも、より多くの物体的な嗣業地を受け取るでしょう。それに対して少数の人たちは、土地のある僅かな部分を獲得するでしょう。なぜなら彼らは、主においてより多くのものを持っているからです。他方で他の人たちは、もしも神の祭司と奉仕者になるのに相応しければ、大地の嗣業地をいささかも受け取らないでしょう。なぜなら、主ご自身があらゆる点で彼らの嗣業地になるからです[3]。いったい、少数の人たちの間にあって、僅かな土地を受け取るほどに幸いな人は誰ですか。あるいは、選び出された祭司たちと奉仕者たちとの間にあって、主だけを嗣業地の取り分として受け取るに相応しいほど幸いな人はだれですか。もちろん彼ら(レビ人たち)も、自分の諸々の家畜のために幾らかの土地を受け取りますが[4]その土地は、諸々の村に隣接していて、諸々の町に付随する土地です。



[1] いつもながら、訳者(朱門)は愚直に訳している。

[2] 1Co.15,10.

[3] Cf.Nb.18,20.

[4] Cf.Jos.14,4.

 

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