「嗣業地の配分は、くじ引きによらねばならない[1]」と(聖文書は)言っています。このことが命じられています。しかし、私が諸々の(聖なる)文書に当たってみると、それらの事柄が命令されているモーセ自身が、「ルベン」と「ガド」および「マナセの半部族」の嗣業地の分割において、くじ引きを使っていないのを私は見ます[2]。そればかりかヌンの()ヨシュアも、くじ引きので、「ユダ」と「カレブ」の部族に嗣業地を与え[3]、くじ引きの外で、「エフライム」の部族と「マナセの半部族」にも(嗣業地を)与えていますが、他の者たちの内ではくじ引きが行われています[4]。「そして最初に、ベニヤミンのくじ引き進行しました[5]」。そして次に、残りの諸部族のくじ引きが進行しました。ここから私は、次のように考えます:すなわち、諸々の天の国のあの幸いな嗣業地の中にも、くじ引きに来ない人たちがいるだろう;そして彼らは、たとえ聖なる人たちであっても、他の人たちと一緒に数えられないだろう、と。しかし、彼らの嗣業地は、或る例外的で特別なものになるでしょう――ユダの部族から出たカレブと、ヌンの子ヨシュアがそうだったように、と。

たとえば、戦闘の後に勝利者たちには諸々の領地と諸々の戦利品が分け与えらるとき、例外的で特別な戦士たちは、他の兵士たちと共に、諸々の戦利品の分割のためにくじ引きの許に来ることはありません。最善で特別な諸々のものが、諸々の功績に応じて彼らに授与されます。しかし他の人たちは、勝利の唯一の権利として、くじ引きを利用します。それと同じように、主なる私のイエス・キリスト[6]も同じことをするだろうと、私には思われます。すなわち、或る人たちが他の人たちよりも多く苦労したことをご覧になり、その人たちの諸々の行いが立派であり、諸々の徳が崇高であることを認めた彼は、その人たちに、特別で例外的な――そして私が敢えて言えば、ご自分に似た――諸々の誉れと諸々の栄光を授与なさいます。

それともあなたには、彼が次のように言うとき、ご自分のもっとも敬愛する弟子たちに、ご自分の至福に似た何ものかを授けるとは、思えませんか。彼は言います:「父よ、私のいる場所で、彼らも私と一緒にいることを、私は望んでいます[7]」。また彼は言います:「あなた方も、十二の座の上に座って、イスラエルの十二部族を裁くだろう[8]」。さらに、「あなたが私の中におり、父よ、私もあなたの内にいるように、彼らも私たちの内で一つになりますように[9]」と。それらすべての事柄は、くじ引きによって降りてくるのではなく、選びの諸々の特権として彼から授けられます。実に彼だけが、人間たちの諸々の心と諸々の精神とをご覧になります。そして彼は、たとえ私たちが、選り抜きの例外的な人たち、しかも、くびきを超えたところにいる人たちの間にいなくても、私たちを諸々の聖なるもののくじ引きに導いてくださいます。彼に、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[10]」。



[1] Nb.26,55.

[2] Cf.Nb.32,33.

[3] Cf.Jos.14,13.

[4] Cf.Jos.16,4.

[5] Cf.Jos.18,11.

[6] 省略

[7] Jn.17,24.

[8] Mt.19,28.

[9] Jn.17,21.

[10] Cf.1P.4,11.

 

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