11 それは、神がモーセに言っているとおりでもあります:「あなたは、ヌンの子ヨシュアをあなた自身のために引き取りなさい。彼は、神の霊を自分自身の中に持っている。そしてあなたは、あなたの諸々の手を彼の上に置きなさい。そしてあなたは、彼を祭司エルアザルの前に立たせ、会衆全体の面前で彼に諸々の指示を与えなさい。そしてあなたは、彼らの前で彼自身について指示しなさい。そしてあなたは、彼の上にあなたの輝きを与えて、イスラエルの子らが彼に聞き従うようにしなさい[1]」と。明らかにあなたは、民の君の叙任が、ほとんど説明を要しないほど明白に既述されているのを聞きます。ここには、民のいかなる喚呼もありません。血縁の理拠は何もありません。近縁の考慮もまったく行われていません。諸々の畑と諸々の地所の嗣業は、近親者たちに残されていますが、民の舵取りは、神が選び出した人に、すなわち――あなたが書かれているのを聞いたとおり――「自分自身の内に神の霊を持ち[2]」、「神の諸々の指示が彼の面前にある[3]」人、、モーセに非常に通暁して親密な人、すなわち、イスラエルの子らが彼に聞き従うことができるように彼の中に律法の輝きと知識がある人に、渡されます。



[1] Nb.27,18-20.

[2] Nb27,18.

[3] Cf.Ps.18,23.

 

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