13 そして、他ならぬ私の土地でも、戦いがなくなってほしいものです。そして、もしも私が、イエスを私の頭として忠実に軍務につけば、それはなくなることができるでしょう。実際、もしも私が、私の主なるイエスに従順であれば、「私の肉が決して、私の霊に対して立ち上がることはない[1]」でしょうし、私の土地は、敵対する諸国民たちから、すなわち、様々な欲望から攻撃され苦しめられることはないでしょう。ですから私たちは祈りましょう:イエスが私たちの上に君臨してくださるように;私たちの「土地で、戦いがなくなり[2]」、諸々の肉的な欲望の諸々の攻撃がなくなりますように。そして、それらの事柄がなくなったとき、「各人は、彼のブドウの木の下で、そして彼のイチジクの木の下で」、彼のオリーブの木の下で「憩うでしょう[3]」。すなわち、肉と霊の平和をみずからの内で取り戻した魂は、父と子と聖霊の覆いの下で憩うでしょう。永遠の神ご自身に、「栄光が代々にありますように。アーメン[4]」。



[1] Cf.Ga.5,17.

[2] Cf.Jos.11,23.

[3] Cf.R.5,5.

[4] 1P.4,11.

 

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