しかし、彼の名前の解釈から、あのツェロフハドが息子たちを生むことができず、娘たちを生んだ理由も示されます。なぜなら、先ほど私たちが述べたように、(彼の名前は)「彼の口の中の影」と解釈されるからです。実際、あなたは次のことを見ます:もしも人が口の中に律法の影を持っていても、諸々の事柄の心象それ自体を持っていなければ[1]、その人は、いかなる霊的なものも、深遠な理解の何ものも理解することができず、彼の口の中には律法の影しかないのですから、彼は、霊的で生きた諸々の理解を生むことができません。彼が生むことができるのは、より単純な生活の諸々の奉仕としての諸々の業と諸々の行いです。ですから神の優しさは、それらの箇所の中で次のことを明示しています:より純真な人たちは、たとえ理解力を欠いていても、諸々のよき業を持っていれば、聖なる人たちの嗣業地から排除されることはないと。それゆえ、ツェロフハドの娘たちは、正当に語りました。



[1] Cf.He.10,1.

 

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