そこであなたは何よりも先ず、どのようにして完全で至福な人が、谷の中でなく、大地の何らかの平地でもなく、あるいは、何らかの丘の中でもなく、山の中で、すなわち、高く険しい場所の中で亡くなるかをご覧ください。すなわち、彼の終極と完成は、崇高なところで得られるでしょう。そればかりか彼は、自分の諸々の目で、約束の地の全体を眺め、傑出した立ち位置からあらゆるものを注意深く見るように命じられます。実際、完成の極みに到達する人には、何ものも知られずに残るべきではなく、見聞きするありとあらゆる事柄の知識を持たなければなりません。このようなわけで、(その人が)肉の内に置かれていたときに物体的な外見において捉えたすべての事柄を、霊の内に成ったとき、純粋無垢な精神において知恵からの諸々の聴き取りと学びへと急いで進み、それらの事柄の諸々の理拠と諸々の原因を速やかに獲得するのは、そのためだと私は信じています。いったい、 (この)代から離れ、この生活の終わりを直ちに受け取る人に、もはやそれらから労苦も恵みも受けるべくもないところの諸々の土地と諸々の場所が示されることに、どんな利益が考えられるでしょうか。

 

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