12 しかしそれらのことは、ユダヤ人たちも遵守すべきです。とにかく彼らの許では、大工であっても、石工であっても、その種の職人たちの一人であるなら、安息日の日に暇にすべきです。それに対して、神的な律法の読者や教師は、自分の業を止めませんし、安息日を汚しません。実際、主も、同じような意味で彼らに言っています:「それともあなた方は、神殿の中にいる祭司たちも、安息日を破っても罪がないことを読まないのか[1]」と。ですから、世俗的な諸々の業を止め、霊的な諸々の行いに時間を空ける人は、安息日の生け贄と諸々の安息日の祭日を行う人です。「彼は、道の中で荷物を担うべきではありません[2]」。なぜなら、一切の罪は荷物だからです。それが預言者も言っているとおりです:「それらは、重い荷物のように、私の上に載せられた[3]」と。また、「(彼は)火も着けません[4]」。すなわちその火について次のように言われています:「あなた方は、あなた方の火の光の中で、あなた方が着けた炎の中で行きなさい[5]」と。安息日の中ではひとり一人は、各自の場所の中で座り、そこから前進しません。では、霊的な魂の場所とは何でしょうか。正義が彼の場所です。真理、知恵、聖化、そしてキリストであるすべての事柄が、魂の場所です。魂は、真の諸々の安息日を遵守し、諸々の安息日の諸々の生け贄の中で祭日を過ごすために、その場所から脱出すべきではありません――主も、「私の中に留まる者の中に私も(留まる)[6]」と言っていたとおりに。



[1] Mt.12,5.

[2] Cf.Ne.13,19.

[3] Ps.37,5.

[4] Ex.35,5.

[5] Is.50,11.

[6] Jn.15,5.

 

次へ