13 ところで、私たちはそれが諸々の安息日であると言いましたが、真の諸々の安息日が何であるかをもっと深く考え直すなら、真の安息日の遵守はこの世を超えています。実際、『創世記』の中で「主は、安息日の日に、ご自分の諸々の業から休んだ[1]」と書かれていることを、当時の第七の日に起こったことであるとか、今でも起こっていることであるとか見ません。なぜなら私たちは、神が常に働いているのであって、神が働かない安息日はまったくないことを見ているからです:「ご自分の太陽を善人たちと悪人たちの上に導き出し、義人たちと不義の人たちの上に雨を降らせ[2]」ない日、「諸々の山の中で人間たちの奉仕のために、草と牧草を導き出[3]」さない日、「打ち、そして、癒や[4]」さない日、「地下の中に連れ去ったり、連れ戻したり[5]」しない日、「殺したり生かしたり[6]」しない日は、まったくありません。それで主も、諸々の福音の中で、ユダ他人たちが安息日の働きと治療に関して意見をしたとき、「私の父は、今に至るまで働いている。そして私も働く[7]」と彼らに答えました。主は、それらの言葉によって、この代のいかなる安息日の中でも神は、世界の諸々の経綸と人類の諸々の予見とから休まないことを明示しています。実際、主は、元から、諸々の被造物を造り、諸々の実体をもたらしましたが――主は諸事物の創造主として世界の完成に十分に貢献し得るそれらの量をご存じでした――、「代の完成に至るまで[8]」それらの予見と経綸から休みません。



[1] Gn.2,2.

[2] Mt.5,45.

[3] Ps.146,8.

[4] Jb.5,18.

[5] Dt.32,39.

[6] 1S.2,6.

[7] Jn.5,17.

[8] Mt.28,20.

 

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