14 ですから、「神がご自分のすべての業から休む[1]」真の安息日は、未来の代でしょう――そのとき、「痛みと悲しみと呻きは逃げ去り[2]」、神が「すべてのものの中ですべてのものに[3]」なるでしょう。その安息日の中で私たちも、神と一緒に祭日を行い、ご自分の聖なるみ使いたちと一緒に諸々の祭りを祝い、「賛美の生け贄を献げることができるように、そして私たちの諸々の舌が明確にした私たちの諸々の満願(の諸々の献げ物)を至高者にお返しする[4]」ことを、神が許してくさるはずです。おそらくそのとき、私たちが上で解説した絶えざる生け贄も、より善く献げられるでしょう。なぜならそのとき、魂は神のそばに絶えずより善くたたずんで、「偉大な大祭司[5]」に賛美の生け贄を献げることができるからです。彼は、「メルキゼデクの位にある永遠の祭司[6]」です。



[1] Gn.2,3.

[2] Is.35,10.

[3] Col.3,11.

[4] Cf.Ps.49,14 et 65,14.

[5] He.5,1.

[6] He.5,6.

 

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