19 その(祝祭の)後に、第六の祝祭が続きます。それは、「諸々の新しい物の(祝祭)と言われます[1]――すなわち、それは、新しい諸々の実りの中から諸々の初物が献げられるとき(の祝祭です)。実際、種を蒔かれた土地がよく耕され、穀物畑が成熟に至ったなら、そのとき諸々の実りの完成において主の祝祭が行われます。ですからあなたも、諸々の新しい物の祭日を主とともに行いたいなら、あなたはどのようにして種を蒔くか、あるいはどこに種を蒔くかをご覧ください――あなたが彼を喜ばせるような諸々の実りを刈り取り、祭日を行うことができるように。しかしあなたは、次のように言う使徒の言葉を聞かなければ、それを果たすことはできないでしょう:「霊の内に種蒔く人は、永遠の命を霊から刈り取る[2]」とあります。ですからそのようにあなたが種を蒔き、そのように刈り取るなら、あなたは真実に諸々の新しい物の祭日を行うでしょう。それゆえ預言者も忠告して言っています:「あなた方はあなた方のために耕作地を新たにしなさい。そしてあなたは、諸々の茨の上に種を蒔こうとしてはならない[3]」と。ですから、自分の心と内的な人間を日に日に更新する人は、自分のために諸々の耕作地を新たにします。そして彼は、諸々の茨の上に種を蒔かず、善い土地――三十倍の実りや六十倍の実り、あるいは百倍の実りを彼に報いる善い土地[4]――の上に種を蒔きます。ですから彼が、「霊の内に種を蒔き、霊の諸々の実りを集める人[5]」です。ところで霊の最初の実りは、何よりも喜びです[6]。そして、「喜び」を刈り取る人――特に彼が(それと)同時に「平和と忍耐と善性と柔和[7]」を刈り取るなら――は、当然、諸々の新しい実りの祭日を行います。それらに似た他の諸々の実りを彼が集めるなら、彼は諸々の新しい実りの祝祭を主のためにもっとも相応しく行うでしょう。



[1] Cf.Nb.28,26:訳者は直訳している。新共同訳では「七週祭」と訳されている。

[2] Ga.6,8.

[3] Jr.4,3.

[4] Cf.Mt.13,7.

[5] Ga.5,22.

[6] Cf.Ga.5,22:「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(新共同訳)

[7] Ga.5,22.

 

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