さて、神はご自分の諸々の祭日を持っているのでしょうか。持っています。人間の救いが、神にとって偉大な祝祭です。信者のたちのひとり一人によって、神に回心し信仰において前進するひとり一人によって祝祭が神に生じると、私は思っています。淫乱だった人が貞潔になり、不正だった人が正義を大事にするとき、不敬虔だった人が敬虔になるとき、その人がどのようにして彼を喜ばすと、あなたはどのようにお考えですか。とにかく、ひとり一人のそれらすべての回心は、神にとって諸々の祝祭を生み出します。和足たちの救いのためにご自分の血まで流したが私たちの主なるイエス・キリストも、最大限の祝祭を執り行います――「ご自分を卑しくして、しもべの姿を取り、死に至るまで従順になった[1]」のは甲斐のあることであったのをご覧になるとき。同じく聖霊も、諸々の祝祭を行います――神に回心する人たちの中に、より多くの神殿が自分のために準備されるのを見るとき。



[1] Ph.2,7-8.

 

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