他方、み使いたちについては、私は何を言うべきでしょうか。主に回心するすべての人たちは、喜ぶ彼らの祝祭のために集まると言われています。それとも彼らにとって偉大な祝祭はないのでしょうか――「悔い改めを必要としない九十九人の義人たちのためよりも、悔い改めを行う一人の罪人のために、天の中かで[1]」彼らが喜ぶとき。ですからみ使いたちも、悪霊たちの諸々の交わりを避けて、諸々の徳の数々の実践を通して、天使たちとの諸々の交わりに参加しようと急ぐ人たちのために、祭日を祝います。



[1] Lc.15,7.

 

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