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 ですから、『嘆き[1]』の中に書かれているように、「エルサレムは重大な罪を犯した[2]」ので、それは騒動の内に置かれ、そのすべての祝祭とその諸々の祭典の日々は滅びました。なぜなら彼らは、聖なる場所の中で、そして、祝祭の日に、私の主なるイエス・キリストを殺したからです。そしてそれ故に、(主は)彼らに向かって行っています:「あなた方の諸々の新月祭と諸々の安息日と諸々の祭日を、私の魂は憎む[3]」と。実にここにおいて、諸々の献げ物について命令が出されるとき、いかなる罪もまだない場合には、(主は)「私の諸々の祭日」と言います。ところが罪がある場合、主は、「私の」とは言わずに、「あなた方の諸々の祭日」と言います。

しかし、それらすべての箇所――それらにおいて神は、嘆いたり喜んだり憎んだり歓喜したりすると言われています――は、()文書によって、象徴的にそして人間的な仕方で言われていると受け取られなければなりません。さらに、神的な本性は、情動と同様との一切の影響とは無縁であり、常に至福の頂点の内にあって、不変であり不動のままです[4]

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[1] 『哀歌』のこと。

[2] Lm.1,8.

[3] Is.1,14.

[4] この段落は、ルフィヌスによる加筆ではない。これがオリゲネスの本音を表すかどうかは、大いに検討の余地がある。とにかく彼はそのように言わざるを得なかった。

 

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