15 しかし、ナジル人と呼ばれる人は[1]、自分自身を神に誓いとして捧げました。それは、ナジル人の誓いで、一切の誓いを超えています。実際、息子を捧げることや、娘や家畜や地所を捧げること、それらは全部、私たちの外にあります。自分自身を神に捧げること、そして他からの働きかけによってでなく、自発的な努力によって(神を)満足させること、そのことは、すべての誓いよりも完全で傑出しています。そのことを行う人は、「キリストの模倣者[2]」です。実に彼は、「大地と海と、それらの中にあるすべてのもの[3]」を人間に与えてくださり、天を(人間に)従属させ、そして太陽も月も諸々の星も人間たちの奉仕に向けさせました。彼は、諸々の雨と諸々の風、そして、世界の中にあるものなら何でもすべて、人間たちに惜しみなく与えました。しかし彼は、それらすべての後で、自分自身を与えました。実際、「神は、ご自分の独り子を、この世界の命のためにお与えになるほど世界を愛しました[4]」。ですから、神ご自身がみずからを先ずご自身に捧げたのですから、もしも人間が自分自身を神に捧げるとすれば、人間はどのような偉大なことを行うでしょうか。



[1] Cf.Nb.6,1s.

[2] 1Co.11,1.

[3] Ac.14,15.

[4] Jn.3,16.

 

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