過越の祝祭の中で、民を浄めるのは子羊であると書かれています[1]。他の諸々の(祝祭の)中では牡牛が、他の諸々の(祝祭の)中では牡山羊あるいは雄羊あるいは雌山羊あるいは雌の仔牛が(民を浄める)と書かれています――朗読された諸々の事柄からあなた方が学んだように[2]。民を浄めるために取られるそれらの生き物たちの中の一頭が、子羊です。他ならぬその子羊は、主なる私たちの救い主であると言われています。実際、すべての預言者たちよりも偉大なヨハネは[3]、そのように理解しました。そして彼は、彼自身を指して言っています:「見よ、神の子羊。見よ、世の罪を取り除く方[4]」と。しかし、民を浄めるために与えらた子羊が主なる私たちの救い主の位格に帰されるなら、次のことは必然であるように見えます:すなわち、清めの同じ諸々の用途に割り振られた他の生き物たちも同様に、人類に浄化の幾ばくかをもたらす或る位格たちに関係づけられるべきであると[5]



[1] Cf.Nb.28,19s; 29,2s.

[2] Cf.Nb.28,11; 29,13s.

[3] Cf.Lc.7,26.

[4] Jn.1,29.

[5] 言うまでもなく、訳者(朱門)は愚直に訳している。「位格」の原語(ラテン語)personaである。それは、文脈に合わせて色々に訳せる。

 

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