12 要するに、諸々の悪徳の中に君臨する人たちが、「五人の王[1]」であると言われています。その結果、私たちは、身体の中に君臨する一切の悪徳が五つの感覚に依存することを教えられます。ですから、それらの五つの感覚は、ミディアン人たちの王国から滅ぼされるべきです――もはや諸々の悪徳ではなく、むしろ正義が彼らを通して君臨するために、そして彼らが見る諸々のものを躓きのために見るのでなく、建徳のために見るために。実際、ミディアン人たちの許では、それらの感覚は(人々を)躓かせるために君臨しています。その結果それらは、(人々を)躓かせ欺きます。そして、それで主は、次のように定めました:「もしもあなたの目があなたを躓かせたなら、あなたはそれを引き抜きなさい[2]」。もしも手や足(がそうした)なら、あなたはそれを切断しなさい[3]。ですからあなたは、彼ご自身が、(人を)躓かせる人たちの王たちが切断され滅ぼされることを命じているのを見るでしょう。「あなたが片目で、そして手や足がなくて、神の国の中に入ることの方が、それらとともに地獄に送られるよりはよい」と(聖文書は)言っています[4]。もちろん(彼は)それらの言葉の中で、私たちの身体の目がえぐり出されるべきであるとは命じていませんし、手や足が切断されるべきであるとも命じていません。諸々の肉的なものを感じ取り、諸々の肉的な欲望によって浮かれ騒ぐ感覚が切断されることを命令しています。それは、「私たちの諸々の目が諸々の正しい事柄を見るためであり」、私たちの諸々の耳が諸々の正しい事柄を聞き、私たちの味覚が「神の言葉を味わい[5]」、「私たちの諸々の手が命の言葉に触れ、触る[6]」ためです。そして、そのことにおいて、ミディアン人たちの王たちが滅ぼされ、躓きの諸々の感情が切り落とされることによって、私たちの中に正義が、私たちの主なるイエス・キリストご自身が君臨します。彼は、「私たちのために、神によって義と平和と贖いにされました[7]」。



[1] Nb.31,8.

[2] Mt.5,29.

[3] Cf.Mc.9,43-44.

[4] Cf.Mc.9,42-45.

[5] He.6,5.

[6] Cf.1Jn.1,1.

[7] Cf.1Co.1,30.