19 ですから、この世界の中には、私たちにとって戦いの時があります。私たちの肉の諸々の悪徳に対してであれ、敵対する諸々の権能に対してであれ――ミディアン人たちに対する格闘があります。み使いたちの一団は、私たちを見守っています。天的な諸々の力の敬虔な期待が私たちに掛かっています――いつ、あるいは、どのようにして、その戦闘から私たちが戻るか、私たちのひとり一人が諸々の戦利品の中から何を持ち帰るか。そして(彼らは)、いっそう注意深く、いっそう案じて調べています――私たちの誰がより多くの金をそれから運んでくるか、さらに誰が銀の塊を提示するか、あるいは誰が貴重な諸々の石を運び出してくるか、を。さらに彼らは探求しています――銅や鉄や鉛を持ち出す人が誰かいるかどうか[1]、そればかりか、木の器や粘土の器、あるいは、「大きな家[2]」の諸々の用途に必要なその種の他の物を運び出してくる人がいるのかどうか、を。実際、「大きな家の中には、金と銀の諸々の器ばかりでなく、木と粘土の諸々の器もあります[3]」。ですから、私たちがそこに去るとき、私たちのひとり一人が何を持ち出すのかがいっそう注意深く調べられます;彼が持ち出した諸々の物に即して、諸々の略奪品の展示のための彼の労苦に即して評価されます;さらに彼のために居留の功績が考量されるでしょう。しかし、それらすべての物は評価されます――「火を通る物」は「火によって」、「水を通る物」は「水によって[4]」。実際、「一つひとつの業がどのようなものであるかを、火は評価するでしょう[5]」。



[1] Cf.Nb.31,22.

[2] 2Tm.2,20.

[3] 2Tm.2,20.

[4] Cf.Nb.31,23.

[5] 1Co.3,13.