(聖文書が)それらの事柄に付け加えていることにも、あなたは注意してください:すなわち、「しかし、あなたも最後に、あなたの民のそばに置かれるだろう[1]」と(聖文書は)言っています。もしもあるとき私たちにサマリア人たちとの会話があるとして、彼らは死者たちの復活を否定し、未来の代の信仰を受け入れないわけですから、私たちは、主がモーセに「あなたは自分の民のそばに置かれる」と言う諸々の言葉によって彼らを責め苛めるべきです。実際、存在しない者たちのそばに置かれる人は誰もいません。それゆえ、モーセがその生活の終わりの後で、「そのそばに置かれる」と言われているところの何らかの民が存在するのは確実です。ですからサマリア人たちは預言者たち――彼らの間で、死者たちの復活の信仰は広く是認されています――を信じていませんから、少なくとも、彼ら(サマリア人たち)が受け入れ、その権威を認めているところのモーセの諸々の書から、彼らは論破され癒やされるべきです。もっともバビロニアも癒やされるのが適当ですけれども[2]。ですからこの箇所は、死者たちの復活を判然と明示するものです。実際(その箇所は)、死後にモーセがつながれ、その諸々の功績に応じて移される民が存在することを示しています。



[1] Nb31,2.

[2] Cf.Jr.51,9.