ですからあなたは、祈りに頼る一人の聖人が、戦闘に頼る無数の罪人たちよりもはるかに強いことが分かります。「聖なる人の祈りは天まで届きます[1]」。どうして祈りが、諸々の地において敵を打ち負かさないでしょうか。そしてそれゆえに、先ず「神の正義を求め[2]」守ることのにあらゆる仕方で熱心でなければなりません。もしもあなたが(それを)獲得し守ったなら、敵たちはすべて、それによってあなたに服従するでしょう――使徒が言っているように、もしもあなたが「正義の胸当てを着用し、真理(の帯)で身を引き締め、救いの兜と霊の剣を、そして何よりも信仰の楯――それによってあなたは、邪悪のすべての火矢を消すことができます――を受け取っ[3]」たなら。あなたは道具としてのそのような諸々の武具によって、悪霊のありとあらゆる宿営とその軍隊を敗走させ、信頼して歌うでしょう:「諸々の宿営が私に対して設営されていても、戦闘が私に対して起こっても、私はそのことに希望を持つだろう[4]」と。



[1] Si.35,21.

[2] Mt.6,33.

[3] Eph.6,14-17.

[4] Ps.26,3.