こうして、ミディアン人たちの「五人の王たち」は、イスラエル兵たちによって圧倒されたと述べられています[1]。しかしそればかりか、彼らの諸々の名前に言及することが、神的な文書の配慮には属していました。「エビとレケムとツルとフルとレバ[2]」と(聖文書は)言っています。ミディアン人たちの許で君臨しているのは、彼らでした。神のために兵役に就く一切の人が、彼らを圧倒し完全に滅ぼさねばなりません。実際、「エビ」は、野獣的とか野蛮的と解釈されます。そして、どのようにしてあなたは、「あなたを兵籍簿に入れた人を喜ばせる[3]」ことができるでしょうか――もしもあなたが、野獣的で野蛮的な諸々の慣行をあなたから切断し、完全に除去したのでなければ。どのようにしてあなたは、穏和な者たちの至福に到達することができるでしょうか[4]――もしもあなたが先ず「エビ」を殺し、一切の激怒の野蛮さを死に渡すのでなければ。私は次のことを考えています:すなわち、それらの名前を神的な文書は、歴史のために物語ったのではなく、諸々の原因と諸々の事柄のために案配したと。実際あなたは、自分の子どもに「野獣的」という名前を付けるほど愚かな人が誰かいると思いますか。むしろ私は、神的な言葉は、諸々の魂の指導を目差していて、私たちに次のことを明示することを望んでいると思っています:すなわち私たちが、その種の諸々の悪徳に対して戦いを挑み、私たち肉の諸々の住居からそれらを追い払うべきこと、それらの王たちを私たちの身体の王国から追い払うべきことを、私たちに明示したいと望んでいると。使徒はそのことをもっと判然と示して言っています:「ですから、罪があなた方の死すべき身体の中で君臨すべきではありません[5]」と。



[1] Cf,Nb.31,8.

[2] Nb.31,8.

[3] 2Tm.2,4.

[4] Cf.Mt.5,5.

[5] Rm.6,12.