民数記第二十六講話

イスラエルの子らの数の合計について

 

 もしも人がいっそう注意深く朗読に集注するなら、信者の人たちの民の中に、諸々の進歩と諸々の功績に諸々の違いがあることを、神的な諸々の巻物の中で把握するでしょう。やはり、次のことに関する目下の朗読からも、私たちは、それらのことを結論することができます。こう書かれています:「そして軍隊の中で諸々の部族ごとに指導者たちとして立てられた者たち、軍団司令官たちと百人隊長たちが皆、モーセに近づいて、モーセに言った:あなたの下部たちである私たちは、私たちの戦士たる男たちの合計[1]を集めました。そして、私たちの中に欠けている人は誰もいませでした。そして、私たちは、主に贈り物を捧げました;男ひとり一人が、自分が見出した金製品なら何でも――首飾りや腕輪や指輪や鎖編や鎖紐を――私たちのために(主を)宥めるために主のみ前に捧げました[2]」と。ですから、軍隊の上に立てられた選り抜きの指導者たちは、善く行われた諸々の事柄のゆえに、神に諸々の贈り物を捧げて言っています:「私たちは、あなたの下部です。私たちは、イスラエルの子らの戦士たちの合計を受け取りました」と。ところで彼らは、ミディアン人たちと対戦するためにイスラエルのすべての部族から選び出された男たち、戦士たちの合計は一万人二千人であると言っています[3]。ですから、神の中に多くの戦士たちがいます。そして、非戦闘員たちも非常にたくさんいます。さらに、戦士たちの間には、「戦士たちの合計[4]」と呼ばれる人たちがいます。彼らは疑いもなく、戦士たちと言われている人たちよりも抜きんでています――戦士たちが非戦闘員たちよりも抜きん出ているように。さらに或る人たちは、「戦士たちの合計」と言われた人たちよりも崇高です。すなわち彼らは、「彼らの上に立てられた指導者たち[5]」であり、選ばれた者たちからなる千人隊の各々に長として置かれた者たちです。ですから、戦士たちと呼ばれる人たちの集団には大きな相違があります。



[1] 「合計」(summa)は、全体をまとめる「統括」という意味もあり、両方の意味が含意されている。

[2] Nb.31,48-50.

[3] Cf.Nb.31,5.

[4] Nb.31,49:訳者(朱門)は、もちろん直訳している。

[5] Nb.31,48.