22 しかしそれらのことは、もしも神的な諸文書から是認されなければ、作り話のように見えるでしょう。そこで、パウロが、それらの事柄の適切な証人として引き出されるべきです。彼は、ヘブライ人たちに宛てた手紙の中で――その中で彼は、信仰を通して神を喜ばせたすべての父祖たちと族長たちと預言者たちを描いています[1]――彼らすべての枚挙の後で、いちばん最後の結論の中で次のように彼らについて言っています:「そしてこれらの人たちは皆、信仰の証を(神によって)受け入れられたにもかかわらず、諸々の約束を手に入れませんでした。なぜなら神は、私たちのために何かもっと善いものを予見して、私たちなしに彼らが完成されないようにされたからです[2]」。それらの九つと半の諸部族は、あの二つと半の諸部族について、次のように言っているかのようです:すなわち、彼らがモーセを通して「ヨルダン川の外側[3]」に彼らのために裁定されたあの土地の約束を受け取らなかったのは、「神が私たちのために何かもっと善いものを予見して、私たちなしに彼らが完成されないようにされたからです」と。ですからそれゆえ彼らは、戦闘のために私たちと武装して(ヨルダン川を)過ぎ越し、戦いを遂行するために、諸々の敵を駆逐するために私たちを助けます。しかし(ヨルダン川を)過ぎ越すのは、武装した人たち、強く力のある男たちです。その他の人たちは皆、手が怠惰で戦闘に不適で、「ヨルダン川の外側[4]」に留まります。しかし、彼らの中に強い男たちがいれば、その男たちは、動物たちと羊たちとすべての重荷を後に残して、私たちと共に敵を攻撃し、私たちの敵どもが打ち負かされるまで、善き地すなわち「蜜と乳の地[5]」を私たちが獲得するまで戦います。



[1] Cf.He.11,1s.

[2] He.11,39-40;訳者(朱門)は直訳している。

[3] Cf.Nb.32,5,9.

[4] Cf.Nb.32,5,9.

[5] Cf.Ex.33,3.