ですから私たちは、和音学を熱心に学ばなければなりません。なぜなら音楽において、もしも諸々の弦の調和が和音として調整されていれば、それは、調音された歌の魅惑的な音をもたらします。しかし、もしも諸々の竪琴の中に何らかの不協和音があれば、不快きわまりない音がもたらされ、歌の甘美さも損なわれます。それと同じように、神のために軍務に就く人たちも、もしも彼らの間で見解の諸々の相違と諸々の不和を持っていれば、すべてのものが不快となり、神に受け入れられるものは何もないように見えるでしょう――たとえ彼らが多くの戦闘を成し遂げても、たとえ彼らが多くの戦利品を持ち帰り、諸々の供物を神に捧げても。実際、彼らに向かって次のことが言われるでしょう:「あなたは、あなたの供物を祭壇の許に置きなさい。そししてあなたは先ず、あなたの兄弟と和解しに行きなさい[1]」。「戦士たる男たちの合計」である人の中に数えられ、「私たちの中に見解の異なる人は誰もいませんでした[2]」と言うことができるでしょう。



[1] Mt.5,24.

[2] Nb.31,49.