私は更にもっと言いましょう。もしもあなたが、いかなる点においても神の諸々の命令と異なることを考えず、また或る事柄において福音的な諸々の掟からも離れない人でないとすれば、あなたは、敵を打ち負かすことはできないでしょうし、敵を凌駕することはできないでしょう。なぜならあなたは、見解を異にしているということそれ自体において、すでに打ち負かされています。あなたは、神と不和であるということそれ自体によって、悪霊によって凌駕されます。しかし、もしもあなたが敵を打ち負かし、「戦士たちの合計[1]」になることを望むなら、あなたは「神に寄りすがりなさい[2]」。そして、あなたは神と協和しなさい――次のように言っていた彼と同じように:「誰が、私たちを神の愛から分離するでしょうか。艱難か苦悩か飢餓か裸か危険か剣か[3]」。また、「命も死も現在も将来も高みも深みも他の非贓物も、キリスト・イエスの内にある神の愛から私たちを分離できないでしょう[4]」とあります。そのような人は、いかなる点においてもまったく見解を異にしません。そのような人は、ミディアン人たちを打ち負かし、「地のすべての敵たちを殺害し[5]」、「神の都から彼らの像を滅ぼする[6]」ことができます。そして私も、私自身から、私の肉の地から、罪人たちを滅ぼし、姦淫、汚れ、激情、悪しき情欲と貪欲を殺害しなければなりません。実にそれらこと、「私の()地の罪人たち[7]」です。そして、もしも私が神の諸々の掟と異なることを考えないないとすれば、まさにそのとき私は、彼らを根絶し殺害することができるでしょう。そしてそのとき、私は、神に諸々の供物を捧げるのに相応しい人に本当になるでしょう。



[1] Nb.31,49.

[2] Ps.73,28.

[3] Rm.8,35.

[4] Rm.8,38-39.

[5] Cf.Ps.100,8.

[6] Cf.Ps.72,20.

[7] Cf.Ps.100,8.