「そしてモーセと祭司エレアザルは、すべての軍団司令官たちと百人隊長たちから金を受け取り、それを証の幕屋の中に、イスラエルの子らの記念として、主のみ前に運んでいった[1]」と(聖文書は)言っています。あなたは、言われている諸々の事柄が可視的な外見に関わるものでなく、精神の思い出に関わる物であることに気づくでしょう。実際、自分が善き業の何がしかを行い、魂の諸々の徳と信心の諸々の飾りを、神に喜ばれる諸々の供物として捧げたことを主のみ前で思い出す人は、幸いです。



[1] Nb.31,54.