それらの事柄の後で、「ルベンとガドとマナセの半部族[1]」の嗣業地についての物語が続きます。私たちは、その物語について諸々の何らかの事柄を検討することを意図していますので、私たちは先ず、聞き手の人たちの注意を喚起し、彼らの諸々の魂を霊的な理解の観想に差し向けたいと思います。言われているすべての事柄は、言われた話しだけから考量されるばかりでなく、(それを)語る位格も大いに考察されねばなりません。たとえば、語る人が少年なら、私たちは、少年の発言の聴取に私たちの諸々の魂を合わせますが、言われている諸々の事柄の中に、少年が理解できた事柄以上のことを私たちは期待しません。それに対し、語る人が男なら、私たちは、語られている諸々の事柄がその男に相応しいかどうかを直ちに見極めます。そして逆に、語っている人が教養ある男なら、私たちは、彼の教養の直観に応じて、語られる諸々の事柄を考量します。しかし、男が未経験で素人なら、言われている諸々の事柄を、私たちは別の仕方で受け取ります。同様に、語っている人が年長者で、諸々の教養の中で長じた人として、認証された多くの経験を持つなら、彼の内に語られた諸々の事柄に対する(私たちの)期待は、はるかに大きくなります。



[1] Nb.32,33.