12 しかし、すべてのものの始めとして、神秘の計算にあなたは注目してください。それを注意深く観察した人は、諸々の()文書の中に、エジプトからのイスラエルの子らの脱出において、四十二の住居が持たれているのとを見出すでしょう。そしてまた、主なる私たちの救い西のこの世の中への到来も四十二の世代を通して導かれています。実際、福音記者マタイは、それに言及して次のように言っています:「アブラハムからダビデ王までが十四の世代、そして、ダビデからバビロンへの移住までが十四の世代、そして、バビロンへの移住からキリストまでが十四の世代である[1]」と。ですから、この世のエジプトの中にお降りになったキリストが四十二の世代の住居を作ったように、エジプトから昇る人たちは、まさに同じ数だけ、すなわち、四十二の住居をつくります。

そしてモーセも、(そのことを)よく留意して次のように言っています:「イスラエルの子らは、その力ととも昇った」と言っています。ところで彼らの力は、「神の力[2]」であるキリストご自身でなければ、何でしょうか。 ですから、昇る人は、私たちの許に降ってきた方とともに、彼が元々いたところに到達するために、昇ります――もちろん彼は、必然によってではなく、みずからよしと決めて降ってきました――。こうして、「降ってきた方ご自身は、昇った方でもある[3]」と言われていることが真実になります。

ですから、四十二の住居の中で、イスラエルの子らは、獲得されるべき嗣業地の元へと到達します。実際、獲得されるべき嗣業地の元は、ルベンとガドとマナセの半部族はギレアドの地を受け取ったときです[4]。かくして、キリストが、あたかも四十二の住居を通して私たちの許に降ったかのように、四十二人の父祖たちを通して私たちの降ってきましたが、その下降の数字は、イスラエルの子らが約束された嗣業地の元へとまったく同じ数の諸々の住居を通して昇る際のその上昇の数字であることは明らかです。



[1] Mt.1,17.

[2] Cf.1Co.1,24.

[3] Cf.Ep.4,9.

[4] Nb.32,33.