14 そして魂も、約束の地を目指して、この生活のエジプトから出立するとき、必然的に或る諸々の路を通って進み、私たちが言いましたように、定められた諸々の住居を設けます。預言者は、それら(の住居)を思い出して次のように言っていたと、私は思っています:「私は、それらの事柄を思い出した。そして、私は、私の魂を私の上に注ぎ出した。なぜなら私は、驚嘆すべき幕屋の場所の中に向かい、神の家にまで進むからです[1]」と。(預言者は)、他の箇所の中でも、それらの住居とそれらの幕屋について言っています:「諸々の力の主よ、あなたの諸々の幕屋はなんと愛らしいことか。私の魂は、主の諸々の広間で(それらを)熱望し、憔悴しています[2]」と。それゆえ、また別の箇所の中でも同じ預言者は、言っています:「私の魂は大いに遍歴した[3]」と。ですからあなたは、もしもできるなら、それらの遍歴が何であるかを理解してください。魂はそれらの遍歴の中で、或る呻きと痛みとともに相当に長く遍歴することを悲観します。ところが、魂が依然として遍歴している限り、それらの遍歴の理解は鈍くなり、曇らされます。しかし魂は、自分の安息に戻ったとき、すなわち自分祖国である楽園に戻ったとき、自分の遍歴の理拠が何であったかをいっそう真実に教えられ、いっそう真実に理解するでしょう。預言者は、神秘の下にそのことを見て、次のように言っていました:「私の魂よ、あなたは、あなたの安息に戻りなさい。なぜなら、主は、あなたに恵んだからだ[4]」と。しかし魂は、しばらくの間、遍歴し、旅をし、諸々の住居を設けます。疑いもなく何らかの利益の理由が、それらの事柄を通して、神の諸々の予見によって経綸されています[5]。それは、(預言者が)別の箇所でも言っているどおりです:「私は、あなたを打ちのめした。そして、私は、荒れ野の中であなたに、あなたの父祖たちが知らなかったマナを食べさせた。それは、あなたの心の中に何があるかが識別されるようになるためである[6]」と。それらが、諸々の地から天へと敷かれた旅路が通る諸々の住居です。



[1] Cf.Ps.41,5.

[2] Ps.83,1-2.

[3] Cf.Ps.119,6.

[4] Cf.Ps.114,7.

[5] 訳者(朱門)は、愚直に「直訳」している。

[6] Cf.Dt.8,2,3.