15 しかし、数々の神的な神秘を知っていて、魂のその旅路と上昇とに属する諸々の住居を記述し、それぞれの場所の諸々諸の労苦や安息を解明できる適切な人が誰か見出だせるでしょうか。実際、その人は、どのようにして次のことを説明するのでしょうか:第一と、第二と、第三の住居の後でも、ファラオは相変わらず追撃していること、エジプト人たちも追撃していること、そして、彼らは(イスラエルの子らを)捕らえなくても追撃していること、そして、たとえ彼らが(紅海に)沈められたとしても、追撃したことを。どのようにしてその人は、次のことを公言するのでしょうか:すなわち、救われた神の民が、幾つかの住居の後で初めて歌を歌い、「私たちは主に向かって歌おう。なぜなら彼は、栄光の内に誉れを受けたからだ。彼は、馬と乗り手を海の中へ投げ込んだ[1]」と言ったことを。しかし、私が申しましたように、いったい誰が、一つひとつの住居を通して、それらの事柄を敢えて開示し、更に、(諸々の住居の)諸々の名前の観想によって諸々の宿営地の諸性質を敢えて推論するのかを、私は知りません――たとえ、話し手の理解が諸々の神秘の重さに十分に耐えられ、聞き手の人たちの聴覚が(それらを)捉えるとしても。



[1] Cf.Ex.15,1.