17 さらに諸々の住居には、諸々の名前も置かれています。実際、天の下にある一切の場所――諸々の山や諸々の谷や諸々の野原の場所――は、諸々の名前を利用しているのに対して、魂が神の国へ昇る上昇は、その諸々の住居の諸々の名前を持っていないというのは適切であるとは思われませんでした。その上昇は、諸々の神秘的な呼称に適合した諸々の住居の諸々の名前を持っています。そして、その上昇は、みずからを導き出す方としてモーセを持っていません――なぜなら彼自身が、「自分はどこへ行くか知らなかった[1]」からです――が、「火の柱と雲[2]」、すなわち、神の子と聖霊とを持っています。それは、預言者が他の箇所で言っているとおりです:「主ご自身が彼らを導いた[3]」と。ですから、エジプト人たちとアマレク人たちが皆、そして、魂を攻撃したあらゆる者たち(紅海に)沈められたとき、幸いな魂の上昇はそのようなものになります。こうして魂は、諸々の住居――すなわち、「父の許にはたくさんある[4]」と言われている諸々の住居――を一つひとつ過ぎ去りながら、ますます照らされ、一つの住居から他の住居へ進むにつれて、照明のさらに大きな増大を求めるようになります。そして遂にその魂は、「一切の人を照らす真の光[5]」それ自体の直視を堪え忍ぶことに慣れ、真の威厳の閃光を耐えることに慣れるでしょう。



[1] He.11,8.

[2] Cf.Ex.13,21.

[3] Cf.Dt.4,37.

[4] Cf.Jn.14,2.

[5] Cf.Jn.1,9.