18 他方、もしも私たちが既に上で言及した第二の説明に戻るなら、この生活の中に置かれた魂の諸々の進歩がそれらの事柄を通して教えられることを私たちは理解するでしょう。異邦人の生活から回心したその魂は、モーセにも神の律法にもアロンにも従わず、「永遠の内に留まるあの祭司[1]」に従います。(その魂は)、完成の域に達する前に、荒れ野の中に住みます。すなわち彼はそこで、主の諸々の掟の中で訓練され、そしてそこで、彼の信仰が諸々の試練を通して試されます。そこで彼が一つの試練に打ち勝ち、そして彼の信仰がその(試練の)中で試されると、魂は、そこから別の試練へと向かいます。そして彼は、いわば一つの住居から他の住居へ過ぎ越します。そしてそこでも彼が、(身に)起こる諸々の事柄を持ちこたえ、信仰深く耐えた成り、彼は別の試練に進みます。そしてそのようにして、生活の一つひとつの諸々の試みと信仰の諸々の進歩を通して、彼は、諸々の住居を持つと言われるでしょう。それらの(住居の)中で、一つひとつの事柄を通して、諸々の徳の諸々の増大が獲得されます。そして、それらの中で、次のように書き記されていることが成就されます:「彼らは徳から徳の中へと進むだろう[2]」と。そして最終的に(魂は)、終極に到達し、いやむしろ諸々の徳の最高段階に到達します。そして、神の川を過ぎ越し、約束された嗣業地を受け取るでしょう。



[1] He.6,20.

[2] Ps.83,8:なお、ルフィヌス訳の原文では、「徳」のラテン語はvirtusであるが、それは徳を実行するの「力」も意味する。