もしもあなた方が諸々の物体的な事柄の例を十分に考察したなら、私たちはいまや、それらの事柄から霊的な諸々の事柄の理解へと進みましょう。さて、一切の理性的本性は、固有でそれ自身に合った諸々の食べ物によって養われる必要があります。ところで、理性的本性の真の食べ物とは、神のみ言葉です。しかし、つい先ほど私たちが、身体の諸々の滋養物の中には多くの違いがあると言いましたように、神のロゴス[1]によっていわば牧される理性的本性が皆、同じ一つのみ言葉によって養われるのではありません。それゆえ、物体的な例と同じように、神のみ言葉の中にも、「乳」のようなもの[2]、すなわち、いっそう明白でいっそう単純な教えがあります。たとえば、神的な諸々の研究への諸々の端緒を得て、理性的な指導の最初の諸々の単元を受け取る人に提供されるのが習慣になっている道徳的な諸々の事柄に関して(そのような初歩的な教えが)存在するのが常です。



[1] この原語は、ratio et verbum Dei。もちろん、それはルフィヌスの意訳である。

[2] Cf.1Co.3,2.