22 しかし私たちは先ず、いつイスラエルの子らが「ラメセス」から出発するか見ることにしましょう。「第一の月に、月の第十五日に[1]」と(聖文書は)言っていす。彼らは主の定めを通して、「その月の第十四日に」エジプトの中でパスカを行いました――出発する前日に子羊の喉を掻き切ることによって[2]。そして、彼らはまだエジプトの中に置かれていたのに、或る仕方で祝祭の端緒を切り開きました。ですから、諸々の種なしパンの最初の日である(過越祭の)次の日、すなわち、「第一の月の第十五日に」、彼らは「ラメセス」から出発して、「スコトの中に」行きます――そこで、諸々の種なしパンの祝祭の日[3]を行うために。(しかし)「知恵ある者は誰か、誰がそれらの事柄を理解するでしょうか。知恵ある者がそれを知るでしょうか[4]」。いやむしろ、それらの事柄を「部分から」知るのは誰でしょうか――使徒が次のように言うように:「私たちは部分から知ります。そして、私たちは部分から預言します[5]」と。いったい誰が、どのようにして、しかも部分から私たちが諸々の祭日を行うかを理解するでしょうか――「新月祭や安息日などの祭日の部分の中で、誰も私たちを裁かないようにするために[6]」。実際、諸々の地の中で人間たちによって行われる一切の祭日は、部分の中で行なわれるのであって、全面的に行われるわけでなく、祝祭の完全な称号において行われるわけでもありません。しかし、あなたがそのエジプトを脱出したとき、完全な祝祭があなたにあるでしょう。そのときあなたは、「純粋さと真理の諸々の種なしパン [7]」に完全に配慮するでしょう。そのときあなたは、五旬祭の日を荒れ野の中で行うでしょう。そしてそのとき、おそらくあなたは、マナの最初の天的な食べ物を受け取り、一つひとつの諸々の祝祭――それらについては既に上で、私たちにできる限りで、言われました――を行うでしょう。



[1] Nb.33,3.

[2] Cf.Ex.12,1s.

[3] 除酵祭の日を祝うために」が、「通常の」訳となるとなるだろう。

[4] Os.14,10.

[5] 1Co.13,9.

[6] Col.2,16.

[7] 1Co.5,8.