27 なぜなら彼ら(悪霊たち)は、無知の中に生きるすべての人を所有しているからです[1]。そして彼らは、未だに無知の中にいる人たちばかりでなく、神を覚知した人たちにもしばしば飛び付き、彼らの中で再び無知の諸々の業を行おうと努めています。実際、彼らなしには、一切の罪は完遂されません。もちろん誰かが不貞を犯すとき、それは悪霊なしにではありません。あるいは、人が過度の怒りに囚われたり、他人の諸々の物品を盗んだり、そして、「座って、自分の隣人に対して誹謗し、自分の母の息子に対して躓きを置く[2]」ときも、悪霊なしではありません。ですから私たちは、エジプト人たちの初子たちや主が撃ち滅ぼしてくださった彼らの神々を、私たちが私たち自身の中で蘇らせないように、あらゆる仕方で努力すべきです。もしも私たちが彼らに、神が嫌っている諸々の事柄を行う機会を与えたなら、私たちは彼らを蘇らせることになります。しかし、もしも私たちが――上に私たちが述べた仕方で――それらのすべてから私たちを守るなら、「主は、エジプト人たちのすべての神々の中で報いを与えた[3]」ことになるのであり、彼らは、私たちの改善と回心から諸々の罰を受けることになります。



[1] 「所有している」は「取り憑いている」と訳すのが普通であるが、訳者(朱門)は第一義的な意味でいつも訳している。

[2] Ps.49,20.

[3] Cf.Nb.33,4.