28 さて、イスラエルの子らは、エジプトから脱出します。そして彼らは、「ラメセスから出発し、スコトの中に来ます[1]」。出発のこの順序と諸々の住居の区別は、神に従い、諸々の徳の諸々の完成について考える人たちにとって大いに必要であり、また、守られねばなりません。その順序については、既に諸々の他の場所の中でも、私たちが建徳のために、主が与えてくださった或る諸々の事柄を語ったとき、私たちが述べたのを私は覚えています。しかし私たちは、今もう一度、幾らか思い起こすことにしましょう。さて、最初の出発は、ラメセスから行われます。そして、魂がこの世界から出発して、来るべき代に向かって進む場合であれ、生活の諸々の誤謬から離れて、徳の道と神の覚知へと回心する場合であれ、魂は、「ラメセスから出発します[2]」。なぜならラメセスは、私たちの言葉の中で、騒々しい騒乱や虫の騒乱と言われるからです[3]。言うまでもなくそのことの中に、この世界の中のすべてのものが、諸々の騒乱と諸々の擾乱の中に、そして腐敗の中に置かれていることが明示されています。実に虫は、そのことを示しています。魂は、それらの中に定住すべきでなく、(そこから)出発して、スコトの中に行かなければなりません。

ところでスコトは、諸々の幕屋と解釈されます。ですから、魂の最初の進歩は、地的な争乱から離れて、巡礼者や旅人のように諸々の幕屋の中に住まなければならないということを知ることです。それによって魂は、いわば戦闘態勢に入り、何の支障もなく自由に、(途上で)待ち構える者たちと会戦することができるようになります。



[1] Nb.33,5.

[2] Nb.33,5.

[3] 省略