ですから、神的な諸々の巻物の中で、何か不明瞭なことが見られないそのような朗読箇所が彼らに朗読されるとき、彼らは(それを)喜んで受け入れます。たとえばエステルユディトや、さらにはトビトという小著、あるいは知恵の諸々の訓戒があります。ところがもしも彼に、レビの書が朗読されると、(彼の)魂はたちどころにつまずいてしまい、それを自分の食べ物ではないかのように遠ざけます。実際、神を崇拝すること、その聖地と敬神の諸々の掟を受けることを学ぶために来る人は、諸々の生け贄に関する諸々の命令が与えられ、諸々の生け贄の儀式を教えられるために、(聖文書に)耳を傾けます。ですからそういう人は、(レビ記が朗読されるのを)聞けば、どうしてたちどころに遠ざけ、自分に適さない食べ物であるかのように拒絶しないでしょうか。