30 「しかし彼らは、エタムから出発し、ハヒロトの口の前で泊まりました[1]」。ハヒロトは、村と解釈されます。なぜなら彼らは、まだ都に来ていませんし、諸々の完全な事柄はまだ保持されていないからです。当面は先ず、諸々の小さな事柄が獲得されます。なぜなら進歩は、諸々の小さな事柄から諸々の大きな事柄へと向かうことにあるからです。ですから(魂は)、「口の前に」、すなわち、村の最初の入り口の前に来ます。そしてその最初の入り口は、回心と適度の節制の印です。なぜなら諸々の始めにおいて、度を超えた厳格な節制は危険だからです。

ところでハヒロトは、「バアル・ツェフォン」の手前と「ミグドル」の手前に置かれています[2]。バアル・ツェフォンは、展望台や監視塔への登攀と解釈されます。ですから(魂は)、諸々の小さな事柄から諸々の大きな事柄へと登攀しますが、まだ展望台そのものの中に置かれていません。それは、展望台の手前、すなわち、展望台の目前に置かれています。実際(魂は)、展望すること、そして、未来の希望を眺望すること、諸々の進歩の高みを観相することから始め、少しずつ成長します――他方で(魂は)、諸々の労苦によって憔悴するよりも、むしろ希望によって養われます。また、その滞在あるいは居住は、「ミグドル」の手前にありますが、まだミグドルそれ自体の中にありません。ミグドルは、壮麗さと言われます。ですから(魂は)、展望台の登攀と未来の諸々の事柄の壮麗さとを目前に持ちつつ、私たちが申したように、諸々の希望によって牧草を与えられ養われます。なぜなら(魂は)、諸々の進歩の中にあって、完成の中にはまだ置かれていないからです。



[1] Nb.33,7.

[2] Nb.33,7.