31 それらの後で、「彼らは、ハヒロトから出発して、紅海の真ん中を通って過ぎ越し、諸々の苦味の辺りに泊まりました[1]」。私たちは、諸々の進歩の時は諸々の危険の時であると言いました。「海の真ん中を通って過ぎ越すこと」、諸々の波が山に成長するのをみること、荒れ狂う諸々の波浪の諸々の声と諸々の轟きを聞くことは、なんと辛い試練でしょうか。しかしながら、もしもあなたが、モーセすなわち神の律法に従うなら、諸々の水は、あなたにとって右や左に壁となるでしょう。そしてあなたは、海の真ん中において乾いたところを通る旅路を見いだすでしょう[2]。そればかりか、魂が辿ると私たちが言ったあの天的な旅路も、諸々の水の幾分かを持つこともあり得ますし、そこにも諸々の波浪が見いだされることもあり得ます。なぜなら、諸々の水の一部は「天の上に」あり、また一部は「天の下に」あるからです[3]。そして私たちは、「天の下にある諸々の水」の諸々の波浪と諸々の波を、しばらくの間、堪え忍びます。どうか、それらがいつも静かで穏やかで、何らかの諸々の風が吹くことに荒らされることのないよう、神が取り計らってくれますように。



[1] Nb.33,8; cf.Ex.15,23:訳文中の「諸々の苦味」は、「苦い水」を飲むことを強いられた「マラ(苦い)」をさす。

[2] Cf.Ex.14,22.

[3] Cf.Gn.1,7.