41 そこから(民は)、「ケヘラタの中に来る[1]」とあります。それは、主権あるいは笏です。両者から、次の権能が示されているように見えます。すなわち、魂が身体に君臨し、それ自身もその(身体の)中で権能の笏を獲得するところまで進歩すること、いや、身体に君臨するばかりでなく、全世界に(君臨するまでに進歩することです)。それは、(パウロは)次のように言っているからです:「しかし、私にとって世界は十字架に付けられ、私も世界にとって十字架に付けられました[2]」と。
そこから(民は)、「シェフェル山の中に来る[3]」とあります。それは、ラッパの響きと呼ばれます。ラッパは、戦いのしるしです。ですから、魂は自分が非常に多くの偉大な諸々の徳によって武装したと自覚すると、必然的に戦いに進みます。それは、彼にとって、「諸々の主権と諸々の権能に対する、そして、この世界の支配者たちに対する[4]」戦いです。あるいは(そのとき)確実に、ラッパが神のみ言葉の中で、すなわち、宣教と教えとの言葉の中で鳴り響きます。それは(魂が)、ラッパを通して有意味な声を与えるためです。こうして、(それを)聞いた人は、戦いのために準備することができます[5]。
それらの後で(民は)、「ハラダの上に来る[6]」とあります。それは、私たちの言葉の中で、「相応しくなった者」を意味します。それは実に(魂)自身も、(パウロと同じように)次のように言うためです:「(神は)私たちを新しい契約の相応しい奉仕者たちにしてくださった[7]」と。