45 そこから再び(民は)、「ツィンに来る[1]」とあります。ツィンもまた、試練です。(先ほど)私たちは、この旅路を別の仕方で歩むのは有益でないと言いました。たとえばそれは、ある金細工職人が必要な器を作ろうと望んで、何度もそれを火に当て、何度も諸々のハンマーで叩き、諸々の砥石で頻繁に磨くようなものです。そうすれば、その器はより清浄なものになり、その職人が目指す形姿や美しさに導かれるでしょう。

それら後で(民は)、「カデシの許に泊まる[2]」とあります。それは、聖なる豊穣です。あなたは、彼がどこかへと来るのかを見ています。あなたは、諸々の試練の諸々の畦溝に聖なる豊穣が続くのを見ます。

そこから(民は)、「ホル山の中に泊まる[3]」とあります。それは、山人と解釈されます。なぜなら彼は、神の山の許に来るからです。その結果、彼自身も、「肥沃な山」と「(峰々を連ねた)稠密な山[4]」になるでしょう。あるいは彼が神の山の中に常に住むことから、彼は、山人と呼ばれるでしょう。



[1] Nb.33,36.

[2] Nb.33,36.

[3] Nb.33,37.

[4] Ps.67,16.