10 私たちの内の誰が、それほど幸いな籤引きの選びに値すると見なされるでしょうか――神が、「最後のアダム[1]」の子らを分割し始めるとき。神は、「最後のアダム」に、「あなたは、五つの町の上に臨む権能を持つ者になりなさい[2]」とは言わず、「あなたは、十の町の上に臨む権能を持つ者になりなさい[3]」と言うでしょう。あるいは(神は)、「あなたは、主の歓びの中に入りなさい[4]」とは言わず、「あなた方も、私と一緒に十二の玉座の上に座りなさい。あなた方も、イスラエルの十二の部族を裁くだろう[5]」と言うでしょう。そして(最後のアダム)、彼らについて次のように言うでしょう:「父よ、私は、私のいるところに、彼らも私と共にいることを望みます[6]」;私が「王たちの王[7]」になるために、彼らも王たちになることを、私は望みます:私は、彼らも支配権を持つことを望みます――私も、「支配者たちの主[8]」になるために、と。至福のこの頂点に到達する人たちは幸いです。諸々の功績のそれらの諸々の頂に登った人たちは幸いです。そして、「ご自分を愛する人たちに」、それらの事柄を約束して下さった私たちの神は讃えられますように[9]。真実に彼らこそ、神聖な諸々の数によって神の許で数えられた人たちです。いやむしろ彼らこそ、その「頭の諸々の毛まで数えられた[10]」人たちです――私たちの主なるイエス・キリストを通して。彼に、「栄光と支配が代々にありますように。アーメン[11]」。



[1] 1Co.15,45.

[2] Lc.19,19.

[3] Lc.19,17.

[4] Mt.25,23.

[5] Mt.19,28.

[6] Jn.17,24.

[7] Ap.19,16.

[8] Ap.19,16.

[9] Cf.1Co.2,9.

[10] Mt.10,30.

[11] Cf.1P.4,11.