しかし、私の話しとあなた方の理解とが、もう少し高められるために、そして私たちが話している諸々の事柄へと向けられたある種の進入に取りかかるために、私たちは或る類例を用いることにしましょう。ユダヤの地の中では、一切の場所、一切の山、一切の町と村が、それぞれ特定の呼称で指示されていることを、誰も疑いません。およそ名称のないいかなる場所もありませんし、それぞれ固有の呼称で指示されています。たとえば、カナン人たちは自分たちの諸々の場所の中で、あるいは、ペリシテ人たちもその(諸々の場所の)中で、また、アモリ人たちやエビ人たちも、さらにエブライ人たちも、それら(の呼称)によって名前を付けていました。ですから、そのようにして、諸々の地的なものは「諸々の天的なものの影と雛形[1]」であると言っているパウロの考えに従いますと、あなたは次のことを見るでしょう:諸々の天的な領域の中にも、おそらく諸々の場所の少なからざる数々の違いが存在しており、それらの違いは、どのような、あるいは、何の呼び名や名称によって区別されているか、そして、天の諸々の領域の諸々の名前ばかりでなく、すべての諸々の星と諸々の星座の諸々の名前が示されていることを(あなたは見るでしょう)。実際、預言者が言っているように、「多数の諸々の星をつくった方は、それらのすべてを諸々の名前で呼んでいます[2]」。それらの名称については、エノクと呼ばれる諸々の小著の中に、非常に多くの諸々の秘密の奥義が含まれています[3]。しかし、それらの小著自体は、ヘブライ人たちの間で権威の内に捉えられているようには見えませんので、差し当たり今、そこの名指されている諸々の事柄を実例として呼び出すことを、私たちは差し控えましょう。しかし私たちは、私たちが諸々の手の中に持っている疑い得ない諸々の書物から、それらの事柄の捜索を続けましょう。



[1] Cf.He.8,5.

[2] Ps.147,4.

[3] Cf.Gn.5,24; Si.44,16; 49,14; He.11,5;