11 したがって、神に関わる諸々の神秘の経綸と、「諸々の聖なる物の諸々の聖なる物」の中で執り行われる奉仕職の経綸は、このようなものですから[1]、私たちは、司祭職の位階[秩序]に相応しいものとなるようにみずからを示し[2]、非理性的な動物のようになって数々重い荷物を課せられないように、むしろ、理性的で聖なるものとなって数々の祭司的な役務を与えられるようにしなければなりません。

 実際、私たちは、「王の系統を引く司祭たちの一族」であり、「獲得された民」です[3]。ただし私たちは、与えられた恵みと、生活の諸々の功績とを釣り合わせ、聖なる奉仕職に相応しい者となっていなければなりません。こうして私たちは、この生活を離れたとき、既に述べたように、私たちが神の司祭たちの間に加えられるに相応しくなり、契約の箱に奉仕しつつ、すなわち諸々の密やかな隠されたものの中で数々の神秘に奉仕しつつ、やがて「顔の覆いを取り除かれて、主の栄光を見[4]」、聖なる地に入るようになるでしょう[5]。私たちの主イエス・キリストは、この聖地の相続を私たちに保証してくださいました。私たちの主イエス・キリストに、「栄光と力が代々にありますように。アーメン[6]」。



[1] Quia igitur huiusmdi dispensatio est mysteriorum Dei et ministerii quod habetur in sanctis,…; Cf.1Co.4,1; Ep.3,9.

[2] tales nos exhibere debemus ut digni efficiamur ordine sacerdotii,...前後の文脈から明白なように、オリゲネスは、制度しての司祭職を、ここで考えているのではない。

[3] Genus enim regale sacerdotium sumus et populus in acquisitionem; Cf.1P.2,9. 新共同訳に従えば、「私たちは、『王の系統を引く祭司』であり、『神のものとなった民』です」となる。

[4] Cf.2Co.3,18.

[5] この「聖地」(terra sancta)は、やがて明らかになるように、地上にはなく、天上にあると考えられている。

[6] 1P.4,11.

 

始めに戻る