しかし今度は、使徒パウロに私たちは戻ることにしましょう。彼は、これらすべての事柄を、覆いを取り除かれた何ものにも囚われない精神の目で見つめ、旧約の覆いを投げ捨てて[1]、以前の民は、このような諸々の配置の中で、「天にある諸々のものの写しと影に仕えていた[2]」と言っています。あなたは、これらの言葉に耳を傾けながら、諸々の宿営地のそれらの四つの区分[秩序]が、もしかすると、パウロが「諸々の天の中で数えた」とヘブライ人たちに書いているあの四つの区分[秩序]の雛型と影なのではないかと、お考えくださいさい。さらに、あなたは、諸々の宿営地のイスラエル人の四つの区分[秩序]に、レビ人たちの四つの区分も付け加えてください。それらの事柄を、私たちは説明し解明することはせず、むしろ、言及するだけに留めておきます。それらの事柄は、より清い理解力のある人々に――もしも、世俗的な諸々の思いに囚われない清い諸々の理解をこの個所にもたらす人たちがいるとすれば――知らせ、軽く触れるだけ十分です。



[1] Cf.2Co.3,16.

[2] Cf.He.8,5.

 

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