今度は、「生ける神[1]」の教会という幕屋に私たちは戻り、それらの一つひとつが、神の教会の中でキリストの祭司たちによって、どのように守られるべきかを私たちは考察することにしましょう。もしも誰かが真実に、数々の聖なる器すなわち諸々の神秘に関する密やかな知恵を託された司祭であるなら、その人は以上のことから学び、どのようにしてそれらを、意識の覆いを掛けて守り、安易に公にすべきではないかに配慮すべきです。これに対し、より劣った人々に、すなわち学識経験のない人々に(それらを)提供するように事情が求めている場合には、(それらを)裸のままで提示すべきではなく、明けられたまま、完全に剥き出しのままで明示すべきではありません。さもなければその人は、人殺しを犯し、「氏族を絶やす[2]」ことになります。実際、言語を絶した諸々の密やかな神秘に触れた人は皆――諸々の功績と知識とによって祭司の位階と地位に移されていないなら――絶やされます。契約の箱そのもの、祭壇、燭台、および上に私たちが挙げたすべてのものを何の覆いもなく剥き出しのままで見ることは、ただアロンの子ら、すなわち、司祭たちだけに許されています。しかし他の人たちは、それらを、覆いを掛けたままで見るべきであり、いな、むしろ覆いを掛けられた状態でそれらを「自分の肩で[3]」担ぐべきです。



[1] He.12,22.

[2] Nb.4,18.

[3] Nb.7,9.

 

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