ケハトの子らも、彼らは司祭ではありませんが、司祭に近かったので、「自分の肩で[1]」それら(聖なる物)を担ぐことができます。しかし他の人たちは、各自の諸々の荷物と諸々の奉仕職を、肩にではなく、諸々の荷車に置きます[2]。私たちは、朗読を先取りして、それら(の荷車)について幾らか述べておきましょう。なぜならこの個所は、そのように促しているからです。個々の部族によって諸々の荷車が奉納されるとき、メラリの子らはそれらの中から四つの荷車を受け取り、ゲルションの子らは二つの荷車を受け取りました[3]。しかし、彼らよりも優れた人たちは、諸々の荷車を受け取りません。



[1] Nb.7,9.

[2] Cf.Nb.7,3.新共同訳では、「荷車」(plaustrum)は、「牛車」となっている。

[3] Cf.Nb.7,7-8.

 

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