民数記第六講話

モーセ・長老たち・エチオピアの女性

「モーセは民の許に出た[1]」と書かれていることについて、七十人の長老たちについて[2]、モーセが妻としたエチオピアの女性について[3]

 幾つもの個所が同時に朗読されましたが、それらについて語るわずかの時間もなく、諸々の神秘の多さもそれを許しません。しかし、広大な野からわずかの花を集めることができるでしょう。勿論、大地に満ち溢れるすべての花を摘むことはできませんが、臭いを嗅ぐのに十分なだけの花を摘むことはできるでしょう[4]。それはちょうど、誰かが泉に近づいたとき、豊かな水脈が注ぎ出すすべての水を飲む必要はなく、むしろ、渇いた喉の渇きを和らげるだけの水で十分であるのと同じようなものです。なぜなら、健康によい水も、過度に摂取されるなら、飲む人に災いとなるかもしれないからです。



[1] Nb.11,24.

[2] Cf.Nb.11,16s.

[3] Cf.Nb.12,1s.

[4] オリゲネスが、比喩的にであれ、自然の美しさに言及するのは極めてまれである。