10 ダビデについて、私は何を申しましょうか。彼は、聖霊が自分から取り去れらるかもしれないと考え、聖霊について、それが取り去られないように祈り、次のように言っています。「私をあなたのみ顔から遠ざけないでください。あなたの聖なる霊を私から取り去らないでください[1]」。しかし続く個所で、罪のゆえに自分から取り去れた賜物を求め、次のように言っています。「あなたの救いの喜びを私に返してください。主導的な霊で私を強めたください[2]」。

さらに、ソロモンについて、私は何を述べましょうか。たしかに彼が、聖霊なしに数々の裁きを下したり[3]、主のために神殿を建設した[4]などと言う人は、誰もいないでしょう。逆に、彼が聖霊において、悪霊どものために諸々の神殿を作ったり[5]、不敬虔な婦人たちに自分の腹を向けた[6]と言う人も、いないでしょう。

また、『列王記』第三書で主によって「ベテルに」遣わされたあの預言者も、たしかに神の霊において神の諸々の言葉を語りました[7]。しかし彼が、ベテルで「パンを食べてはならない」と命じる主の掟を、神の霊において破ったと信じられてはなりません――彼は、その掟を破り、獅子によって殺されましたが。しかし、委細に渡るのは冗長です。



[1] Ps.50,13.

[2] Ps.50,14. 「主導的な霊」の原語はspiritus principalisである。

[3] Cf.1R.3,16s.

[4] Cf.1R.16,15s.

[5] Cf.1R.11,7.

[6] Cf.1R.16,1s.

[7] Cf.1R.13,11s.

 

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