聖霊が私の救い主なる主に、他の人たちの内に述べられているのとは類まれでまったく異なった仕方で留まったと、私が教えることができる別の証言が、私にはあります。すなわち、洗礼者ヨハネは、彼について次のように言っています。「水で洗礼を授けるために私を遣わした方が、私に言った。『霊がその人の上に降り、その人の内に留まるのを、あなたが見たら、その人がそれである』と[1]」。もしも(その方が)、「霊が降る」と言っただけで、「その人の内に留まる」という言葉を付け加えなかったら、他の人々とは異なるところは何もないように見えます。しかし、今の場合には、「その人の内に留まる」と付け加えられています。それは、このことが、救い主において、他のいずれの人においても明示され得ないことのしるしになっているからです。実際、他のいかなる人についても、聖「霊がその人の内に留まった」とは書かれていません。



[1] Jn.1,33.

 

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